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魔法少女まどかマギカ の売れ筋商品

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魔法少女まどか☆マギカ 5(完全生産限定版)(Blu-ray Disc)

魔法少女で在り続けるためには、他人の犠牲もやむを得ない。

9話では、そこに妥協点を見出だせなかった者と、見出しながらも救いを模索した者の区切りのエピソードが描かれています。
ここへ来てやっと何らかの救済があったという点では、個人的にとても印象深い回だったと思っています。
ある意味これこそが魔法少女として最も健全な形だと言えるのではないかと。
万策尽きて追い詰められた時、人はモラルよりも自分がどうしたいかを優先するもの。
似たような境遇を持ちながらもなかなか相容れなかった二人が、過酷な宿命の中で紆余曲折の末に到達した思いやり溢れるそのシーンは、非常に腑に落ちるものがありました。
魔法少女は孤独ですね。
せめてどこかで仲間となれていれば、どんなに過酷でも全く違う道を歩めていたかも知れません。
それは傷の舐め合いなどではなく、自分は独りではないと思えることの証明であり、マミがそうであったように、たった一つのささやかな希望となり得たはずのもの。
なのに、現実ではそんな些細な事に気付くのすら、いつだって手遅れか、失う危機に陥ってからでしかない・・・。
ここへきて、やはり人は誰とも関わらずに孤独に生きる事は出来ず、また独りで生きてはいけないのだと、身に詰まされるばかりです。
思えば、線と線が互いに寄り添い合う『人』という字の成り立ちを、しみじみと考えさせられた回でした。


そして、キュゥべえ。
色々と反感を買っている彼ですが、私は今をもって尚、悪の一言で片付けられずに悶々としています。
彼の立ち位置として、感情を挟まず、目的の為に無駄無く合理的且つ能率的に少女らを誘導していくその姿は、ある意味で自分自身・・・すなわち大人そのものであるのかなと。
ただ、彼はそもそも人間ではないので人間界のモラルを求めるのも些か疑問に思えますし、我々人間はそれよりももっと残酷な事をしています。
例えば、食用として他の生き物を飼い慣らし、それを何の気なしに口に運び、食べきれないからと廃棄している事。
ペットや害獣にしても、飼えなくなったから道端に捨てる、人や農作物に被害が出たから殺処分などという現実が実際にあるのです。
元を正せば人間が環境を良いように作り替えてしまった事が原因だというのに。
そんな自分達の身勝手さを棚上げしてまで、私は彼を責める事がとうとう出来ませんでした。
善か悪か、敵か味方か、許せるか許せないか・・・それは大事なことだけれど、そればかりに気を取られていては悲劇を呼ぶだけだと、既に先の回でも触れています。
少し考えれば解る事です。
そもそもそれらの定義など存在しない、と。
そう思ってしまう根幹には、必ず我が身の安全や損得の勘定が付いて回っているのだと。
まあ、それが他でもない当事者・・・つまり劇中の魔法少女らの心情ではありましょう。
実際に自分が彼女らの立場に立たされたとしたら、辛さばかりが先立って本文における問答も恐らく何の意味も成さないでしょうし。
どのみちやがては環境に慣れ、精神や思考が順応していくだけ。
理屈だけでは生きていけない。
が、そんな事は百も承知でそれでもキュゥべえに殺意や怒りを覚えたのなら、それはきっと思いやりのある優しい方なんでしょうね。
他の誰か、それこそ同族以外の生き物に対しても涙を流せるのもまた、人なのです。
だから、それで良いんだと思います。
明日は我が身、先の事は知る由もないのなら、環境や外的な要因が何であれ、ただ護りたいものを護っていくしかないのですから。


私は関東圏内に住んでおり、今回の震災によって現実の更なる厳しさと、思いやりや助け合いの大切さを身を以て味わいました。
不謹慎ではありますが、この場をお借りして、犠牲になった方のご冥福を心よりお祈り致します。
多くの旅立ちと再会の涙が流れ、そして絆が結ばれた事を、私は生涯忘れません。


いつにない長文、失礼しました。
震災のほとぼりが冷めるまで投稿の自粛も考えていたのですが、敢えてやらせていただきました。
誰かが発信せねば誰も同じ土俵には立ってくれないものです。
その点、もしもこれを読む誰かに何らかの光明をもたらしたり、意識の共有が出来たとするなら、私はそれだけで恐悦至極なのです。
レビューにはならない部分も多分にあるかとは思いますが、ご容赦いただけたら幸いです。

あなたの行く末に、幸多き未来があらんことを。

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